東京高等裁判所 平成8年(行ケ)167号 判決 1998年6月16日
京都市南区吉祥院中島町29番地
原告
株式会社ワコール
代表者代表取締役
塚本能交
訴訟代理人弁理士
浅村皓
同
小池恒明
同
森徹
同
治部卓
同
岩井秀生
兵庫県西宮市西平町2番22号
被告
矢田商事株式会社
代表者代表取締役
矢田健
訴訟代理人弁護士
辰野久夫
同
尾崎雅俊
同
藤井司
同
木下慎也
同
弁理士 倉内義朗
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第1 当事者の求めた裁判
1 原告
(1) 特許庁が平成7年審判第6844号事件について平成8年7月10日にした審決を取り消す。
(2) 訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告
主文と同旨
第2 請求の原因
1 特許庁における手続の経緯
原告は、発明の名称を「カップ部を有する女性用被服」とし、平成2年8月7日に特許出願、平成7年1月27日に設定登録された特許第1901140号発明(以下「本件発明」という。)の特許権者である。
被告は、平成7年3月28日に本件発明について特許無効の審判を請求し、特許庁は、同請求を同年審判第6844号事件として審理した上、平成8年7月10日に「特許第1901140号発明の明細書の請求項第1項ないし第5項に記載された発明についての特許を無効とする。」との審決をし、その謄本は平成8年7月22日に原告に送達された。
2 本件発明の要旨(別紙図面1参照)
(1) 特許請求の範囲請求項1記載の発明(以下「本件第1発明」という。)
立体的に膨出するカップ部1であって、少なくともカップ部1中心の最頂点2を通過するように、カップ部1の対向する両縁間に亘って弾力性細線3を跨設したことを特徴とするカップ部を有する女性用被服。
(2) 特許請求の範囲請求項2記載の発明(以下「本件第2発明」という。)
弾力性細線3は、カップ部1に於ける下方弯曲縁4の内側5より最頂点2を経て外側6へ至るようにカップ部1の対向する両縁間に亘って跨設される請求項1記載のカップ部を有する女性用被服。
(3) 特許請求の範囲請求項3記載の発明(以下「本件第3発明」という。)
弾力性細線3は、カップ部1に於ける下方弯曲縁4の最下点近傍7より最頂点2を経てカップ部1の外縁8へ至るようにカップ部1の対向する両縁間に亘って跨設される請求項1記載のカップ部を有する女性用被服。
(4) 特許請求の範囲請求項4記載の発明(以下「本件第4発明」という。)
弾力性細線3は、カップ部1に於ける下方弯曲縁4の最下点近傍7より最頂点2を経てストラップ取付縁9方向へ至るようにカップ部1の対向する両縁間に亘って跨設される請求項1記載のカップ部を有する女性用被服。
(5) 特許請求の範囲請求項5記載の発明(以下「本件第5発明」という。)
弾力性細線3は、カップ部1に於ける下方弯曲縁4の最下点近傍7より最頂点2を経てカップ部1の内縁10へ至るようにカップ部1の対向する両縁間に亘って跨設される請求項1記載のカップ部を有する女性用被服。
3 審決の理由の要点
(1) 本件発明の要旨は、前項記載のとおりである。
(2) 当審における特許無効理由
当審において、職権により平成7年9月1日付けで通知した特許無効理由の概要は、本件第1ないし第5発明は、いずれも、米国特許第2570819号明細書(以下「引用例」という。別紙図面2参照)記載の発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるので、本件特許は、特許法29条2項の規定に違反してされたものであり、同法123条1項2号に該当し、無効とすべきであるというものである。
(3) 原告の主張
原告は、当審における無効理由通知に対して、平成7年11月20日付けで意見書を提出し、本件第1発明と引用例記載の発明とは、前者における弾力性部材が「細線」であるのに対し、後者においては「flexible bone」である点で相違しており、「bone」は、本来板状のものを意味するものであるので、引用例には、「弾力性細線」を使用しようとする技術的思想は記載されていないこと、ブラジャーのアンダーバスト部の保形部材としてワイヤーを用いることが周知であっても本件発明の位置にワイヤーを設けることやボーンに代えてワイヤーを使用することを示唆するものではないこと、「細線」の語が、細さの程度を特定していないとしても、引用例記載の発明のボーンが細線と言い得るようなものではなく、引用例がボーンを細くしようとする技術的思想を示しているわけではないことなどから、本件第1ないし第5発明は引用例記載の発明に基づいて当業者が容易に発明し得たものということはできない旨主張している。
(4) 当審における特許無効理由通知に引用した引用例 引用例には、立体的に膨出するカップ部を有する女性用被服であるところのブラジャーが図面と共に記載されており、「それぞれのカップ部15の中央に、前形成されたflexible bone32が設けられており、・・・bone32の下端に垂直部34が設けられており、その上部の大半の部分が外側に向かって上方向にカーブしている(第6、7図)。そのカーブの終端からboneは短い距離だけ内側に向かって上方に鋭くカーブしている。boneがポケットに挿入されると垂直部34の上端はカップ部のパネル17の上端と実質的に整合し(第2、7図)、boneのカーブの頂点は実質的にパネル18の上端に位置し、boneの上端は実質的にパネル20の中央の高さより高い点に位置する。」とされている。そして、上記のbone32のカーブの頂点が位置するとされたパネル18の上端は、カップ部の最頂点となっていること、boneの上端が位置するとされるパネル20は上部を構成する布(upper panel)であることが第2図及び第12図と共に示されている。
(5) 引用例との対比
本件第1発明と引用例記載の発明とを対比すると、後者のflexible boneは弾力性のある部材と認めることができるので、両者は、立体的に膨出するカップ部であって、カップ部の最頂点を通過するように、弾力性部材を跨設してなるカップ部を有する女性用被服である点で一致しており、
<1> 本件第1発明において、弾力性部材が「細線」であるのに対し、引用例記載の発明においては、「flexible bone」と記載され、第6図には細い帯状または断片状のものが記載されている点。
<2> 本件第1発明における弾力性細線はカップ部の対向する両縁間に亘って跨設されるのに対し、引用例記載の発明におけるboneの上端部は、カップ部を構成する上部布(upper panel)の中央の高さより上に位置するとされているが、カップ部の上縁まで達していることは明記されていない点。で相違する。
(6) 当審の判断
上記の相違点について検討する。
相違点<1>について
被服の分野で「bone」という用語は、張骨のことで、ボーニングともいい、材質としては、鯨のひげ、鳥の羽の骨、鋼鉄骨、プラスチック骨、スプリング骨がある(文化出版局編「服飾辞典」昭和54年3月5日文化出版局発行、837頁参照、以下「甲第6号証刊行物」という。)とされ、また、ボーニングについても「コルセットとか、イブニングドレスの胸部などの型を保つために、要所要所にいれるしんとしての骨などのことで、鉄製の細い針金、鳥の羽の骨、鯨骨などで、」(田中千代著「田中千代 服飾辞典」1981年4月25日同文書院発行、801ないし802頁参照、以下「甲第7号証刊行物」という。)とされている。原告は、「ボーンは、17世紀にコルセットに使用されていた頃から、5mm~1cm程度の幅をもった板状のもので、現在に至るまで、材質面では変化があるものの幅の面では大きく変化していません。もちろん、ボーンの材質として鋼、プラスチックを使用することはありますが、ワイヤーそのものをボーンとして使用したことはありません。・・・従って、ボーン(bone)の形状は、引用例の第6図に示されているような板状のものです。」と主張しているが、その根拠及びそれを立証する証拠が何も示されていない。
他方、ブラジャー等のカップ部(たとえばアンダーバスト部)の保形に細線を用いることは本出願前周知の事項であり、上記の細線をボーンあるいはワイヤーボーンと称することも普通に行われていたことが認められる(必要ならば、たとえば、昭和63年実用新案登録願第83481号(平成2年実用新案登録出願公開第10408号)のマイクロフィルムの記載参照)。
そうしてみると、「bone」という用語自体が、本来引用例の第6図に示されるような板状の形状のものに特定されるものであるということはできず、その形状は、使用目的や、使用個所によってその材質と共に当業者が適宜選択決定し得るものといえる。
そして、引用例記載の発明の「flexible bone」は、外力によって変形し、また、もとの形状に戻ろうとする性質によって形態を保持しようとするものであること(引用例3欄40行ないし50行)からみて、弾力性を有すると共に、可及的細いものが好ましいことは当業者が当然考慮することであり、本件第1発明における「細線」も特にその細さを特定しているものでもないので、引用例記載の発明でいう「flexible bone」には本件第1発明でいう「細線」も含まれるものということができ、「細線」と限定した点に格別の技術的意義は認められない。
相違点<2>について
引用例記載の発明におけるboneも、本件第1発明における弾性細線と同様にカップ部の最頂点を通過して跨設されているので、カップ部のトップを定形化することができ、購入当初のトップを維持することができ、バストアップの造形機能や保形機能を具備するものといえる。そして、カップ部の上部布の中央の高さより上に位置するとされるboneの上端部は、縁部に達していないとはいえトップを通過し、トップと縁部の中間よりもより縁部に近い位置まで延びているので、これを両縁部に亘るようにすることも当業者にとって格別の創意を要するものとは認められない。
更に、本件第2ないし第5発明は、それぞれ、本件第1発明の弾性細線の跨設状態のバリエーションを規定するものであるが、いずれも、弾性細線をカップ部の最頂点を通過して跨設することにより、カップ部のトップを定形化し、保形することができるようにするものであることからみても、弾性細線の端部がカップ部の端部に達しているか否かという点に格別の技術的意義があるものとは認められない。
したがって、本件第1発明は、引用例記載の発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものと認める。
また、弾性細線の跨設形態については、カップ部を有する被服の形状や構造に応じて当業者が適宜決定し得る設計的事項と認められるので、本件第2ないし第5発明も当審における特許無効理由通知で引用した引用例記載の発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものと認める。
(7) 結論
以上のとおりであるので、本件第1ないし第5発明は、いずれも当審における特許無効理由通知で引用した引用例記載の発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるので、本件特許は、特許法29条2項の規定に違反してされたものであり、同法123条1項2号に該当し、無効とすべきものである。
4 審決の取消事由
審決の理由の要点(1)、(2)は認める。同(3)は大略認めるが、原告が「本件発明の位置にワイヤーを設けることやボーンに代えてワイヤーを使用することを示唆するものでない」と述べた趣旨は、「細線はもちろんのこと、ワイヤーですら、本件発明の位置に設けることやボーンに代えて使用することを示唆するものでない」という意味である。同(4)は認める。同(5)については、一致点の認定のうち、「後者のflexible boneは弾力性のある部材と認めることができる」との点、及び相違点<1>のうち、引用例記載の発明の弾力性部材が「flexible bone」であることを争い、その余は認める。相違点<1>は、本件第1発明の「弾力性細線」と引用例記載の発明の「flexible bone」とが相違点として摘示されるべきである。同(6)のうち、相違点<2>についての判断は認め、その余は争う。同(7)は争う。
審決は、本件第1発明及び引用例記載の発明の各技術内容を誤認した結果、相違点<1>についての判断を誤ったもので、違法であるから、取り消されるべきである。
(1) 本件第1発明の「弾力性細線」と引用例記載の発明の「flexible bone」との剛性の相違
ア 本件第1発明の弾力性細線は、その剛性が乳房と同程度かそれ以下のものである。
すなわち、本件明細書(甲第3号証の本件公告公報)の「バイヤステープ片は反復する洗濯により経時的に弱化され」(3欄16行ないし17行)にいう弱化とは剛性の低下をいうところ、このように弱化後のバイヤステープ片については剛性の程度を問題としている反面、該弱化前のバイヤステープ片については剛性の程度を問題としていないことからすれば、本件明細書には、本件第1発明の弾力性細線の剛性が布のそれとあまり変わらないということが開示されているものである。そして、たるんだ布をぴんと張ったり布を曲げたりする際の布(バイヤステープ片)の剛性は高々乳房と同程度であることは、布本来の役割からして当然である(そうでなければ布の皺で乳房が歪んでしまうことになる。)。したがって、本件第1発明の弾力性細線の剛性は乳房と同程度かそれ以下であることが、本件明細書に実際上開示されているのである。
また、本件第1発明の弾力性細線の剛性が、乳房と同程度かそれ以下のものであることは、本件明細書の実施例に、「2はカップ部1に於ける半円状の最頂点を示し、主として着用時に乳房の乳首が当接される領域に相当する箇所である。・・・尚、直径0.5mmとすれば着用時に圧迫感がなく、自然なフィット性の中に造形性が期待出来る。」(5欄4行ないし12行)とあることからも、本件明細書に開示されている。すなわち、この支持部材の剛性が乳房よりも高いとすると、その支持部材が形作る形状に乳房が適合しなければならないことになるから、もはや、「自然のフィット性」とは言い難いため、「自然のフィット性の中に造形性」を期待することはできず、本件第1発明の技術的課題である「よりシビアに乳房の肥痩に相応した美麗なシルエットを醸し出すカップ部」(本件明細書4欄1行ないし2行)は実現されないし、作用効果である「常に乳房形状に沿った使用」(同6欄12行ないし13行)状態も可能とならないのである。
イ 引用例記載の発明の「flexible bone」の「flexible」は、「可撓性」と訳されるべきもので、本件第1発明の「弾力性」とはその技術内容が異なる。引用例の「flexible bone」は、以下のとおり、乳房と比較してはるかにかたい(変形しにくい)ものである。
a ボーンは、ブラジャーを含むコルセット類に挿入され、該コルセット類を介して身体の該当部分の外形(シルエット)を強制的、人工的に決める。したがって、人体の皮膚、脂肪などと比較してかたいものである必要がある。
b 引用例記載の発明のブラジャーは、中央に垂直(上下方向)のボーニングを利用している場合、ボーニングがバストの乳頭に強く押しつけられ、乳頭を刺激する(引用例1欄14行ないし16行)、まっすぐなボーンは、本来ブラジャーの上端及び下端を胸から浮かしてまっすぐな状態をとろうとする傾向がある(同1欄16行ないし20行)、結果としては、着心地が悪く、しばしば乳房を傷つける(同22行ないし23)という技術的課題の下に発明されたものである。
上記課題の下で、引用例記載の発明の「flexible bone」は、外向きカーブ部分の上端から続く、鋭く内向きに上方向きへとカーブする部分を備えることによって、「ボーン保持テープと乳頭との間に間隙ができ、テープから乳頭の上と下とで乳房に触れる」(同3欄52行ないし55行)ようにし、これによって、「ボーニングがバストの乳頭に強く押しつけられ、乳頭を刺激する」「着心地が悪く、しばしば乳房を傷つける」という問題を解決している。
ところで、引用例記載の発明の「flexible bone」が、乳房と比較してはるかにかたいものでなければ、「flexible bone」がバストの乳頭に強く押しつけられ、乳頭を刺激するという問題が生じず、「ボーン保持テープと乳頭との間に間隙ができ、テープから乳頭の上と下とで乳房に触れる」(同3欄52行ないし55行)必要がないのみならず、このようなボーン保持テープと乳頭との間に間隙を形成する構成を採り難い。
c また、引用例記載の発明の「flexible bone」が、乳房と比較してはるかにかたいものでなければ、「ブラジャー使用時、・・・ボーン32は・・・第7図に・・・一点鎖線で示す通常形状から・・・実線で示す形状に撓められる」(同3欄40行ないし43行)ことにも、「ブラジャーが身体を囲むに従って、ボーン32の頂部自由端が乳房の頂面に乗り上げる」(同3欄44行ないし46行)ことにもならないで、「flexible bone」の例えば乳房部の下側当接部などが乳房部の外形に沿って下側に凸に撓む(変形する)ことになろう。
d 更に、引用例においては、特許請求の範囲に記載されているようにボーンの下端部に垂直部が不可欠であるが、これも、「flexible bone」の剛性が乳房の剛性と比較してはるかに高いことを前提としているからである。なぜなら、これは、ボーンの頂部自由端が乳房の頂面に乗り上げる際における支えとして不可欠であるし、ボーンが下端部に垂直部を備えていない「く」の字だけの構成であるとすると、ボーン32の下端が体幹部に斜めに突き刺さる状態になるおそれがあるからである。
e 以上の点からすれば、引用例記載の発明の「flexible bone」は、乳房と比較してはるかにかたいことを前提にしていることが明らかである。
(2) 本件第1発明の「弾力性細線」と引用例記載の発明の「flexible bone」との形状の相違
ア 本件第1発明の弾力性細線は、細線である以上、少なくとも板状のものではない。典型的には、直径約0.5mm程度のものである。
この点につき、被告は、本件公告公報(甲第3号証)の図面(第1ないし第5図)のカップ部1の横幅に対する弾力性細線3の幅の寸法比は、引用例の第1図のカップ部15の横幅に対する「flexible bone32」の寸法比とほぼ同じであると主張する。しかし、本件公告公報の第1ないし第5図には弾力性細線の挿入部位が示されているのみであって、幅が特定されるようには示されていない。第6図から分かるように、第1ないし第5図で示されたのは、細線よりも相当幅の大きいバイヤステープの幅であるから、被告の主張は誤りである。
イ 引用例記載の発明の「flexible bone」は、以下のとおり、板状であって、「線」ではない。
a ボーンとは、幅を持った板状のものである。例外として、鯨のひげのように単独では板状とは言い難いものも存在するが、これも、挿入部をかたくすべく多数本並べて挿入されるもので、この多数本並べたものを全体としてみると板状ともいい得る。
被服文化協会編「服装大百科事典下巻」(文化服装学院出版局昭和44年3月20日発行、346頁参照、以下「甲第16号証刊行物」という。)のボーンの項には、「これらは、それぞれ、重さと弾力性に違いがあり、種々の長さ・幅のものがある。」とあり、幅のみを問題としているのは、ボーンが太さ(径)ではなく、幅のあるものであることを前提にしているものである。
b 引用例記載の発明の「flexible bone」も、引用例の第5図及び6において、横断面がほぼ長方形状に示されている。
c この点に関して、審決は、周知技術として昭和63年実用新案登録願第83481号(平成2年実用新案登録出願公開第10408号)のマイクロフィルムを引用し、ブラジャー等のカップ部の保形に細線を用いることは本出願前周知の事項であり、上記の細線を「ワイヤーボーン」と称することが普通に行われていたと認定する。しかし、ブラジャーなどの女性用被服の分野においては、「ワイヤーボーン」という用語は通常用いられる技術用語ではない。「ワイヤー」というのは、ブラジャーのアンダーバスト部ないしアンダーカップ部(カップの下方弯曲縁部)に沿って挿入されてカップ部を保形するのに使用するものを指す技術用語であって、半円状の横方向については実際上ほとんど変形しないほど剛性の高いものである。
したがって、審決が「(ボーンの)形状は、使用目的や、使用個所によってその材質と共に当業者が適宜選択決定し得るもの」とした判断は、ボーンとワイヤーとを区別して使用する必要があり、かつ、現に両者が区別して製造され使用されている女性用被服の技術常識に反し、誤りである。
ウ 引用例記載の発明の「flexible bone」は、乳首部のところに間隙を確保しつつカップ部形状を規定しようとするものであるから、相当の剛性が要求され、剛性に応じた形状等が要求される。すなわち、そのためには、ボーンはある程度太く(厚さが一定であるとすると幅が広く)ならざるを得ない。
したがって、引用例記載の発明の「flexible bone」は、本件第1発明の細線の「細い」の範囲に入らない太さである。
(3) 作用効果の相違
アa 本件第1発明は、本件明細書記載の従来技術と比較して、少なくともカップ部1中心の最頂点2を通過するように、カップ部1の対向する両縁間に亘って弾力性細線を跨設したから、「カップ部の形状保持力が良好で」(本件公告公報6欄25行ないし26行)あり、弾力性細線を跨設したから「カップ部の弾性機能(が)向上」(同6欄25行)され、これによって、「着用時でのカップ変形が甚少化出来」(同6欄25行ないし26行)、「カップ部を立体的に造形し」(同6欄26行)得る。また、弾力性細線が弾性によりカップ部の立体的造形を維持することになるから、「(カップ部の形状)安定性が優秀な」(同6欄27行ないし28行)女性用被服が得られる。
b 本件第1発明は、本件明細書記載の従来技術と比較して、少なくともカップ部1中心の最頂点2を通過するように、カップ部1の対向する両縁間に亘って弾力性細線を跨設したから、「美しい胸部のシルエットを創り、トップバストの線が美麗」(同6欄26行ないし27行)な女性用被服が得られる。
上記「美しい胸部のシルエット」、「トップバストの線が美麗」というのは、カップ部1における半円状の最頂点のところに主として着用時に乳房の乳首が当接されることによって形成されるもの、すなわち、細線3が、第6図に示されるごとくカップ部1における体表面と接する肌側に当接されると共に、それを被覆するバイヤステープ片12によって保持されることによって形成されるものである。言い換えれば、トップ部形状が乳房と同程度の柔らかさの弾力性細線で規定されているので、乳首を含む乳房部にカップ部のトップ部を直接接触させ得るから、カップ部のトップ部がブラジャー着用者の乳房トップ部の形状を反映したものとなる。上記「美しい胸部のシルエット」、「トップバストの線が美麗」というのは、このような自然なものをいう。
イ 引用例記載の発明は、ブラジャーのカップ部のトップ形状の美観及び該美を実現する手段が本件第1発明とは異なり、乳首のところに間隙を形成するものであるから、作用効果も本件第1発明とは異なる。すなわち、上記アaについては、おおまかにいえば一応同様に当てはまるが、本件第1発明のように「常に乳房形状に沿った使用」状態を前提とする「自然なフィット性の中の造形・保形機能」とは異なる。また、同bについては、着用時に乳房の乳首が当接されないから、形成される美観が異なるのである。
(4) 以上のとおり、本件第1発明の「弾力性細線」は引用例記載の発明の「flexible bone」に含まれるものではないから、これを含まれるとした審決の判断は誤りである。
(5) また、仮に審決が、本件第1発明の「弾力性細線」が、引用例記載の発明の「flexible bone」に基づいて想到することが容易と判断したものであるとしても、
ア 従来技術におけるボーンを用いたものでは、その部材が人体の皮膚、脂肪などと比較してかたくなければ整形・規整機能は期待できないと考えられていたのに対し、本件第1発明は、その部材がかたくなくても造形・保形機能が期待できると考えた点で発想を転換したものである。
イ ボーンを用いた従来技術では、人工的にそのボーンが形作る大きさ(ボリューム)を外形的に見せようとする整形美や強制的な規整美の追求であったのに対し、本件第1発明では、「着用時に圧迫感がなく」、しかも「乳房の肥痩に相応し」、「常に乳房形状に沿った」使用状態、つまり「自然なフィット性の中」の造形性、すなわち、乳房の持つボリュームだけを強調しようとするのではなく、着用時の圧迫感を排除することで乳頭に優しく、しかも乳房の持つ量感や質感をも表現しようとする意味における「自然」的「造形・保形」美を追求しようとしたものであり、発想の方向性が異なる。
ウ 以上のとおり、本件第1発明の「弾力性細線」は引用例記載の発明の「flexible bone」に対して発想の転換性が認められ、発想の方向性が異なるから、技術的課題及び作用効果が異なる。したがって、本件第1発明は引用例記載の発明に基づいて容易に想到することができたものではない。
第3 請求の原因に対する認否及び被告の主張
1 請求の原因1ないし3は認め、同4は争う。審決を取り消すべき理由はない。
2 被告の主張
(1) 本件第1発明の「弾力性細線」と引用例記載の発明の「flexible bone」との剛性の相違について
ア 原告は、本件第1発明の弾力性細線の剛性が、乳房と同程度かそれ以下のものであると主張する。
しかし、本件明細書のどこにも、弾力性細線のこのような特徴は記載されていない。原告主張の「バイヤステープ片は反復する洗濯により経時的に弱化され」との記載は、従来の布地のみからなるブラジャーの問題点を記載しているのであって、本件第1発明の弾力性細線の剛性の程度について記載しているものではない。
イ また、原告は、引用例の「flexible」は、「可撓性」と訳されるべきものであるとして、本件第1発明の「弾力性」とは技術内容が異なり、乳房と比較してはるかにかたい(変形しにくい)ものであると主張するが、原告の主張は、以下のとおり理由がない。
a 「しなう」の意味は、「弾力があって、力を受けたとき折れずにしなやかに曲がる。たわむ。しなる。逆らわずに物に従う。順応する。」というものである。そうすると、可撓性とは、弾力性があってしなやかに曲がることであるから、本件第1発明の「弾力性」とほとんど同じ意味である。
b 平成4年実用新案出願公開第37207号公報(乙第6号証)には、「これらの芯材は乳房の形状の固定化すなわち保形を主たる目的とし、保形効果を得るための強い剛性と着用時に適度に変形して着用者に違和感を与えないようにする柔軟性を保持しているが」(2頁11行ないし14行)と、ブラジャーのワイヤーボーンの従来技術が記載されている。このように、ブラジャーのような被服においては、ワイヤーボーンが挿入されて保形効果を得るための強い剛性が与えられたとしても、適度に変形して着用者に違和感を与えないようにする柔軟性を保持しているのである。
c 引用例には、「flexible bone」を3個用いた変形例が第11、12図に示され、「一般に、この変形形態のブラジャーは、強い支持及び補正手段を要する、重くて垂れ下ったタイプの乳房への使用向けのものである。」(4欄1行ないし4行)と記載されている。これらの記載からすれば、第1図に示された「flexible bone」をそれぞれ1個用いたブラジャーは、普通の大きさの乳房に適合するものであり、適当な支持と補正手段を有し、身体周回部材により適切な位置に保持され、しかも、上部が望まれる豊満な外観となるように魅力的な直立した位置に乳房を支持することができるものである。
このように、引用例記載の発明の「flexible bone」も、剛性を持っているとしても、ブラジャーが一般に有している特性である、着用時に適度に変形して着用者に違和感を与えないようにする柔軟性を保持しており、柔軟性のあるものであることが明らかである。
d 原告は、引用例記載の発明の「flexible bone」が、乳房と比較してはるかにかたいものでなければ、「flexible bone」がバストの乳頭に強く押しつけられ、乳頭を刺激するという問題が生じず、「ボーン保持テープと乳頭との間に間隙ができ、テープから乳頭の上と下とで乳房に触れる」必要がないのみならず、このようなボーン保持テープと乳頭との間に間隙を形成する構成を採り難いと主張する。
しかし、引用例の記載は、「ボーニングが乳頭に強く押しつけられ、乳頭を刺激する」というものであり、「flexible bone」についての記載ではない。
また、「ボーン保持テープと乳頭との間に間隙ができ、テープから乳頭の上と下とで乳房に触れる」との記載の主語の部分は、「ボーン32のカーブの頂点は、適切な輪郭の乳房に用いた場合」というのであるから、「flexible bone」の剛性やかたさに関係なく、これを「く」の字型にしておくことで、ボーン保持テープと乳頭との間に間隙ができ、乳頭を刺激するという問題は解決できるのである。
したがって、上記記載は、「flexible bone」が乳房と比較してはるかにかたいという根拠にはなり得ない。
(2) 本件第1発明の「弾力性細線」と引用例記載の発明の「flexible bone」との形状の相違について
アa 本件明細書には弾力性細線の形状の限定はなく、例えば、板状の弾力性細線を用いても、明細書に記載されている本件第1発明の作用効果は得られるものである。
そして、本件公告公報の図面(第1ないし第5図)のカップ部1の横幅に対する弾力性細線3の幅の寸法比は、引用例の第1図のカップ部15の横幅に対する「flexible bone32」の寸法比とほぼ同じである。
b 更に、本件明細書では、「細線」と限定した点に格別の技術的意義・効果があるとは示唆されていない。
イa 原告は、引用例記載の発明の「flexible bone」に関して、ボーンは幅をもった板状のものであると主張するが、ボーンが幅をもった板状のものに限定されるということはできず、その形状は使用目的や使用個所によって、その材質と共に、当業者ならば容易に適宜選択決定し得るものである。
b また、原告は、ワイヤーについて、半円状の横方向については実際上ほとんど変形しないほど剛性の高いものであると主張するが、ワイヤーは、針金、電線、楽器の金属弦等のことであり、弾力性のある細線も含まれるから、実際上ほとんど変形しないという原告の主張は誤りである。
ウ 更に、原告は、引用例記載の発明の「flexible bone」は、本件第1発明の細線の「細い」の範囲に入らない太さであると主張する。しかし、ボーンにつき可及的細いことが好ましいことは、ブラジャー等の使用目的に鑑み、当業者なら当然考えることであるから、原告の主張は理由がない。
(3) 作用効果の相違について
ア 本件明細書の作用の項に、「これによりカップ部の変形を可及的に排除し、カップ部のトップ部に相当する最頂点が常時一定形状に膨出弯曲し、その形態を一定に維持することが出来る。」(4欄35行ないし37行)、発明の効果の項に、「カップ部1に変形を生起させず、常に乳房形状に沿った使用が可能となる。」(6欄12行ないし13行)との記載があり、これらは引用例記載の発明の作用効果と同一である。
イ また、本件明細書の発明の効果の項に、「殊にカップ部1の最頂点2には必ず弾力性細線3が通過しており、このためカップ部1のトップ部を定型化出来、常に購入当初のトップを維持出来、従って下垂した乳房を持ち上げてバストアップする造形機能、乳房の脇側への移動を阻止して着用安定性を発揮する保形機能を一定に維持出来る。」(6欄14行ないし19行)との記載があるが、引用例記載の発明でも、テープが乳頭の上と下とで乳房に触れるように設計されるため、同じ効果が得られる。
ウ 更に、本件明細書の発明の効果の項には、「よってカップ部の形状保持力が良好で、カップ部の弾性機能向上によって着用時でのカップ変形が甚少化出来、カップ部を立体的に造形して美しい胸部のシルエットを創り、トップバストの線が美麗で安定性が優秀なブラジャーが製出することが出来る。」(6欄24行ないし28行)との記載があり、このうちの、「カップ部の弾性機能向上によって着用時でのカップ変形が甚少化出来、」という記載は、弾力性細線に相当な剛性があることをいっているものである。
一方、引用例には「望まれる豊満な外観となるように魅力的な直立した位置に乳房を支持する」と記載されているが、これは、本件第1発明と同じ効果をいうものである。
(4) 以上のとおり、本件第1発明の弾力性細線と引用例記載の発明の「flexible bone」を区別する技術的意義がないことは明らかである。
第4 証拠
証拠関係は、本件記録中の書証目録のとおりであるから、これを引用する。
理由
第1 請求の原因1ないし3の事実は当事者間に争いがない。
第2 本件発明の概要について
成立に争いのない甲第3号証(本件公告公報)によれば、本件明細書には、本件発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果について次のとおり記載されていることが認められる。
1 本件発明は、例えばブラジャー、ボディスーツ、ブラスリップ、水着、あるいはレオタード等のいわゆる乳房に充当され、それを保持するカップ部が備わって成る女性用被服であって、実質的な被服着用時に当該カップ部の変形が甚少であり、在来に見ない立体的なカップ造形を演出するカップ部を有する女性用被服に関する。(2欄12行ないし3欄2行)
便宜上、記述各商品の中よりブラジャーに限って以降説明すれば、従来のブラジャーにおいては、乳房に充当される左右カップ部の略中心線に沿って、立体的造形を維持させるための接ぎ線が形成されており、その外方へ膨出して弯曲する接ぎ線に沿ってバイヤステープ片等を用いて、上下のカップ形成部片を連結一体化し、而して所望容量の立体的カップ部を得ていたが、かかるバイヤステープ片は反復する洗濯により経時的に弱化され、カップ部を形成する素材の収縮作用、皺の発生、更には素材に腰がなくなること等々に起因して、ブラジャーのカップ部が期待する本来の造形機能が薄れると共に、カップ容量が一定に維持できず、その寸法自体を固定化できない欠陥があった。(3欄10行ないし22行)
各自のサイズに合ったブラジャーを購入したにかかわらず、カップ部の前記収縮作用等により本来備わった一定形状を維持できないものであった。もって、在来品のカップ部にあっては本来の乳房への造形性が期待できず、かつ、その着用感や着用外観が不良若しくは好ましくない欠陥を具備するものであった。(3欄24行ないし29行)
熱プレスによるカップ部においても、反復継続する洗濯等により購入当初のカップ部形態を経時的に維持することはできず、着用時にはカップ部の立体形状が崩れているため、頗る乳房に合わせ難い欠陥もあった。(3欄32行ないし36行)
2 本件発明で展開されるカップ部を有する女性用被服においては、長期にわたるブラジャーの使用に際しても常にカップ部の変形を来すことのないカップ部を有する女性用被服を提供することを目的としている。そうして、ブラジャーにおけるカップ部が変形することのない立体を維持する概念を保有するカップ部を有する女性用被服を提供することを目的としている。また、よりシビアに乳房の肥痩に相応した美麗なシルエットを醸し出すカップ部を有する女性用被服を提供することを目的としている。更にはまた、弾力性細線がカップ部の両縁にわたって跨設一体化するので、カップ部のトップ部が常に一定形状に弯曲しながら乳房に充当され、カップ部のトップ形態を定型化し得るカップ部を有する女性用被服を提供することを目的としている。(3欄42行ないし4欄8行)
3 既述したような目的を達成するがために、本件発明によるカップ部を有する女性用被服においては、特許請求の範囲請求項1(本件第1発明の要旨)記載の構成を特徴としており、同2ないし5(本件第2ないし第5発明の要旨)記載の構成をその特徴としているものである。(4欄10行ないし29行)
4 カップ部の変形を可及的に排除し、カップ部のトップ部に相当する最頂点が常時一定形状に膨出弯曲し、その形態を一定に維持することができる。(4欄35行ないし37行)
予め立体的に膨出させたカップ部1の膨出度、カップ容量を常に一定に保持させ、洗濯等によりカップ部1に収縮作用を呈した際にも、当該弾力性細線3によって収縮が最小限となり、カップ部1に変形を生起させず、常に乳房形状に沿った使用が可能となる。殊にカップ部1の最頂点2には必ず弾力性細線3が通過しており、このため、カップ部1のトップ部を定形化でき、常に購入当初のトップを維持でき、したがって、下垂した乳房を持ち上げてバストアップする造形機能、乳房の脇側への移動を阻止して着用安定性を発揮する保形機能を一定に維持できる。(6欄8行ないし19行)
第3 審決の取消事由について判断する。
1 引用例について
成立に争いのない甲第5号証によれば、引用例には、「中央に垂直(上下方向)のボーニングを利用している場合、ボーニングがバストの乳頭こ強く押しつけられ、乳頭を刺激する。その上、まっすぐであるボーン(bones)は、本来ブラジャーの上端及び下端を胸から浮かしてまっすぐな状態をとろうとする傾向がある。・・まっすぐなボーン(bones)によるバスト補整の結果着心地が悪く、しばしば乳房を傷つける衣服ができていた。本発明の目的は、・・・上部が望まれる豊満(fullness)な外観となるように魅力的な直立した位置に乳房を支持するストラップレスブラジャーを提供することである。本発明のもう一つの目的は、望まれる豊満なバストの外観を与え、乳房の乳頭に対して間隙が生じるように前もって形成した上下方向の中央のボーン(bones)を利用したストラップレスブラジャー・・・を提供することである。」(1欄14行ないし36行)、「各カップ部15の中央に、前成形された可撓性のボーン(preformed flexible bone)32が設けられている。このボーンはカップ部の材料と該カップ部に固定されたテープ片33とで形成されたポケットに嵌め込まれている(第10図)。ボーン32の下端に垂直部34が設けられており、垂直部34の上の大半の部分は外側に向かって上方向にカーブしている(第6、7図)。そのカーブの終端において、ボーンは、長さ的には短い範囲で鋭く内側に向かって上方向にカーブしている。」(3欄22行ないし31行)、「ブラジャー使用時、ボーン(bones)32は・・・第7図にも一点鎖線で示す通常形状から、第7図に実線で示す形状に撓められる。これは、ブラジャーが身体を囲むに従って、ボーン(bones)32の頂部自由端が乳房の頂面に乗り上げられることによる。従って、ボーン(bones)32はブラジャーの上縁および下縁を胸部に対して保持する通常位置に戻ろうとする傾向がある。第6および7図に図示したボーン32のカーブの頂点は、適切な輪郭の乳房に用いた場合、ボーン保持テープと乳頭との間に間隙ができ、テープから乳頭の上と下とで乳房に触れるように設計される。」(3欄40行ないし55行)、「第7図に示したように、前成形したボーン(bones)32の作用により乳房を支え補整して、乳房の上部の望ましい豊満な外観が達成される」(3欄62行ないし67行)との記載があることが認められる。
2 本件第1発明の「弾力性細線」と引用例記載の発明の「flexible bone」との剛性の相違について
(1) 原告は、本件第1発明の弾力性細線は、その剛性が乳房と同程度かそれ以下のものであると主張する。
検討するに、特許発明の要旨の認定は、当業者において特許請求の範囲の記載の技術的意義を一義的に明確に理解することができないとか、あるいは一見してその記載が誤記であることが明細書の詳細な説明の記載に照らして明らかであるなどの特段の事情のない限り、特許請求の範囲の記載に基づいてされるべきである。これを本件についてみると、前掲甲第3号証によれば、本件明細書の特許請求の範囲請求項1には「弾力性細線」と記載され、その剛性が乳房と同程度かそれ以下のものであるとの規定がないことが認められる。そうすると、当業者であれば、上記「弾力性細線」との記載の技術的意義は、弾力のある細い線をいうものであって、その剛性が乳房と同程度かそれ以下のものに限定されるものではないと理解することは明らかである。
そうすると、特段の事情のない本件においては、上記「弾力性細線」の剛性については、本件第1発明の要旨を原告主張のように限定することは許されないものというほかはない。したがって、原告の主張は失当である。
(2) この点に関して、原告は、本件明細書の発明の詳細な説明の項において、<1>バイヤステープ片が反復する洗濯による弱化を問題としているのに対し、弱化前のバイヤステープ片の剛性を問題としていないこと、<2>実施例の「2はカップ部1に於ける半円状の最頂点を示し、主として着用時に乳房の乳首が当接される領域に相当する箇所である。・・・尚、直径0.5mmとすれば着用時に圧迫感がなく、自然なフィット性の中に造形性が期待出来る。」(5欄4行ないし12行)との記載があり、これが発明の目的である「よりシビアに乳房の肥痩に相応した美麗なシルエットを醸し出すカップ部」(4欄1行ないし2行)及び発明の効果である「常に乳房形状に沿った使用」(同6欄12行ないし13行)に対応していることをその主張の根拠とする。
しかし、本件においては、上記「弾力性細線」との記載の要旨の認定について発明の詳細な説明を参酌すべき場合ではないことは上記(1)の認定のとおりであるから、原告の主張は失当である。
のみならず、上記<1>に指摘された問題点を解決して本件第1発明の弾力性細線による造形及び保形機能を達成するためであれば、その剛性は適宜に設定されれば足りるのであって、これを従来の布のみで形成されたカップ部が弱化する前のものと同程度、すなわち、乳房と同程度かそれ以下のものとしなければならないとする必然性は認められないし、また、上記<2>の「自然なフィット性の中に造形性が期待できる。」との記載は、本件第1発明の弾力性細線自体の作用効果ではなく、その直径を0.5mmとした場合の作用効果をいうものであることは明らかであるから、上記<1>及び<2>はいずれも、本件第1発明の弾力性細線の剛性が、乳房と同程度かそれ以下のものに限定されていると解する根拠とすることはできない。原告の主張は、この点でも理由がない。
(3) 一方、引用例記載の発明の「flexible bone」が弾力性のあるものであり、したがって、その剛性も上記弾力性と両立する程度のものであることは、前記1の認定事実から明らかである。
(4) そうすると、本件第1発明の「弾力性細線」の剛性と、引用例記載の発明の「flexible bone」の剛性とは、異なるものではないと解すべきである。
3 本件第1発明の「弾力性細線」と引用例記載の発明の「flexible bone」の形状の相違について
(1)ア 成立に争いのない甲第6号証(甲第6号証刊行物)、第7号証(甲第7号証刊行物)、第16号証(甲第16号証刊行物)によれば、甲第6号証刊行物には、「ボーン・・・衣服材料では張骨のこと。英語ではボーニングともいい・・・材質の種類では鯨のひげ・・・鳥の羽の骨・・・・鋼鉄骨・・・プラスチック骨・・・スプリング骨・・・がある。・・・体型補正やデザイン的な立体造形のため、ドレスや下着に用いられる。」との記載が、甲第7号証刊行物には、「ボーニング・・・コルセットとか、イブニングドレスの胸部などの型を保つために、要所要所にいれるしんとしての骨などのこと。鉄製の細い針金、鳥の羽の骨、鯨骨などで、」との記載が、甲第16号証刊行物には、「ボーン・・・ボーニングということもある。おもに鯨骨(実は鯨の髯・・・)、鳥の羽骨・・・、鋼鉄骨・・・、プラスティック骨・・・が用いられる。これらは、それぞれ、重さと弾力性に違いがあり、種々の長さ・幅のものがある。」との記載がそれぞれあることが認められる。
また、成立に争いのない甲第8号証(平成2年実用新案登録出願公開第10408号公報)によれば、ブラジャーのアンダーバスト部の保形に金属製ないし合成樹脂製の細線を用いることは本出願前周知の事項であり、上記細線をワイヤーボーンと称していたことが認められる。
以上の事実によれば、ボーンは、一般に保形・造形機能を目的として下着等に用いられるものであり、その形状、太さ等は、使用目的や使用個所によって、その材質と共に当業者により適宜決定され、細線も使用されるものと認められる。
イ もっとも、原告は、ボーンとは、幅を持った板状のものであると主張する。しかし、前記アの認定事実によれば、ボーンには、鉄製の細い針金、鳥の羽骨、鯨のひげを用いたものもあることが認められるところ、これらのものを用いた場合には、ボーンの形状は板状に限られず、線状になることもあることは明らかであるから、原告の主張は採用できない。
また、原告は、ブラジャーなどの女性用被服の分野においては、「ワイヤーボーン」という用語は通常用いられる技術用語ではないと主張するが、上記主張は前掲甲第8号証の記載に照らして採用することができない。
更に、原告は、女性用被服では、「ワイヤー」というのは、ブラジャーのアンダーバスト部ないしアンダーカップ部(カップの下方弯曲縁部)に沿って挿入されてカップ部を保形するのに使用するものを指す技術用語であって、ボーンとは区別して使用されている旨主張する。しかし、上記ブラジャーのアンダーバスト部の保形に使用される細線がワイヤーボーンと呼ばれることは前認定のとおりであるところ、「ワイヤーボーン」がボーンの一種であることはその語義からして明らかであるから、これを特に「ワイヤー」と呼んで通常のボーンと区別することがあるとしても、そのことは、ボーンの形状、太さ等は、使用目的や使用個所によって、その材質と共に当業者により適宜決定されているとの前記認定に反するものではない。
(2)ア 前記1の認定事実によれば、引用例記載の発明は、上部が望まれる豊満な外観となるように魅力的な直立した位置に乳房を支持すると共に、望まれる豊満なバストの外観を与え、乳房の乳頭に対して間隙が生じるように前もって成形した上下方向の中央のボーンを利用したストラップレスブラジャーを提供することを目的として、「く」の字型に前形成された可撓性のボーン(flexible bone)32を設け、その外力によって変形し、元の形状に戻ろうとする性質を利用して形態を保持しようとするものであるから、引用例記載の発明の「flexible bone」も、やはり保形・造形機能を達成する目的で使用されるものと認められる。
一方、前掲甲第5号証によれば、引用例には、引用例記載の発明の「flexible bone」が、第5、6図に図示されているような偏平な断面である必要性については何ら記載がないものと認められ、また、上記のような保形・造形機能を達成するためには、その形状が偏平な断面のものでなければならないと認めるに足りる証拠もない。
以上の事実に、引用例記載の発明の「flexible bone」は、その外力によって変形し、元の形状に戻ろうとする性質を利用して形態を保持しようとするものであることを総合すれば、引用例記載の発明の「flexible bone」の形状は偏平な断面のものには限定されておらず、通常のボーンと同様、適宜に決定され、細線も使用され得るものと当業者が理解することは明らかである。
イ もっとも、原告は、引用例記載の発明の「flexible bone」は、乳首部のところに間隙を確保しつつカップ部形状を規定しようとするものであるから、相当の剛性が要求され、そのためには、ボーンはある程度太く(厚さが一定であるとすると幅が広く)ならざるを得ないと主張する。しかし、ボーンの剛性は、形状だけではなく、材質によっても決定されることは明らかであるから、その剛性は、ボーンの形状が太いか又は幅広でなければならないという根拠とすることはできない。しかも、引用例記載の発明の「flexible bone」は、外力によって変形するものであるから、その剛性が原告主張のごときものであるということもできない。したがって、原告の主張は採用することができない。
(3) 一方、前掲甲第3号証によれば、本件第1発明は、その「細線」の細さを特定するものではないと認められる。
(4) そうすると、引用例記載の発明の「flexible bone」には、本件第1発明の「弾力性細線」も含まれるというべきであるところ、前掲甲第3号証によっても、本件明細書の記載上、本件第1発明において「細線」と限定した点に格別の技術的意義を認めることはできない。
4 作用効果の相違について
原告は、a引用例記載の発明は、本件第1発明のように「常に乳房形状に沿った使用」状態を前提とする「自然なフィット性の中の造形・保形機能」とは異なる、b本件第1発明は、カップ部1における半円状の最頂点のところに主として着用時に乳房の乳首が当接されるのに対して、引用例記載の発明は、これが当接されず美観が異なるとして、両者は作用効果を異にする旨主張する。
しかし、引用例記載の発明の「flexible bone」には本件第1発明の「弾力性細線」も含まれており、本件第1発明が「細線」と限定した点に格別の技術的意義が認められないことは前記2、3の認定のとおりである。原告主張に係る本件第1発明の作用効果は、aについては、原告がその主張の根拠とする「自然なフィット性の中の造形・保形機能」は、本件第1発明の弾力性細線の直径を0.5mmとした場合の作用効果であって、上記弾力性細線自体の作用効果とは認められないことは前記2(3)の認定のとおりであり、また、bについては、本件第1発明の弾力性細線が乳房と同程度の柔らかさであることを前提とするものであることは原告主張から明らかであるところ、上記前提自体が誤りであることは前記2の認定のとおりであるから、いずれも、本件第1発明が引用例記載の発明の「flexible bone」を「細線」と限定したことによってもたらされた格別の作用効果と認めることはできない。したがって、原告の主張は失当である。
5 なお、原告は、仮に審決が、本件第1発明の「弾力性細線」が、引用例記載の発明の「flexible bone」に基づいて想到することが容易と判断したものであるとしても、本件第1発明の「弾力性細線」は引用例記載の発明の「flexible bone」に対して発想の転換性が認められ、発想の方向性が異なるから、技術的課題及び作用効果が異なるから、容易に想到することができたものではないと主張する。
しかし、引用例記載の発明の「flexible bone」には本件第1発明の「弾力性細線」も含まれており、本件第1発明が「細線」と限定した点に格別の技術的意義が認められないことは前記2、3の認定のとおりであるから、両者が同一ではないことを前提として、容易に想到することができなかったとする原告の主張は、その前提を欠くものであって、失当である。
しかも、原告の主張に係る作用効果は、本件第1発明の弾力性細線が乳房と同程度の柔らかさであることを前提とするものであると解されるところ、上記前提自体が誤りであることは前記2の認定のとおりであるから、原告の主張は、この点でも失当である。
6 以上のとおりであるから、本件第1発明は、引用例記載の発明に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたとした審決の認定判断に誤りはなく、これを前提として、本件第1ないし第5発明を無効と判断した審決に原告主張の違法はない。
第4 結論
よって、原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。
(口頭弁論終結日・平成10年6月2日)
(裁判長裁判官 清永利亮 裁判官 山田知司 裁判官 宍戸充)
別紙図面1
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別紙図面2
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